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リストマーク 問題80 不老不死の水? 

2008年04月18日 ()
【問題80】
鎌倉十井のひとつで、「甘露の井」とよばれたこの井戸の水は密のように甘く、不老不死の効能があるといわれていた。井戸のある場所は?

【問題80のこたえ】
:浄智寺(じょうちじ)

甘露の井2
▲浄智寺総門
【問題44】寿福寺関連問題

甘露の井1
▲この井戸の水を「甘露水」という。

甘露の井3

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[2008.04.18(Fri) 16:36] 旧跡の問題トラックバック(0) | この記事へのコメント(1)
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昔は by るい
もうちょっと綺麗で石壁から清水が湧いていましたが整備のせいかなくなってしまいました。

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リストマーク 問題77 橋の名前の由来に隠された事件 

2008年03月02日 ()
【問題77】
北条義時のころ、謀反に加担したとの罪で捕まった武将が、処刑の前日に詠んだ歌によって命を救われ、その恩に報いるために架けたという橋は?

【問題77のこたえ】
:歌の橋

歌の橋1

▲捕らえられた武将とは、渋河刑部六郎兼守という人。ある僧侶の自白によって謀反の陰謀が露見したことから事件が起こった。陰謀には、和田義盛の子、義直らが加わっており、兼守もその一味であるとされた。
この三ヶ月後には、和田合戦が起きている。

歌の橋3


▲翌日いよいよ処刑という日に、悲しみの中で歌を十首読み荏柄天神に奉納した。
この歌が歌人でも知られる源実朝の目に入り、感心した実朝が罪を許したというのである。

歌の橋2


実朝のおかげで、死刑を免れた兼守が、その恩に報いるために、二階堂にこの橋を架けたという。
鎌倉十橋のひとつ。

現在は、うっかり見過ごしてしまいそうな橋なのですが、そんなエピソードがあったとは・・・。
まち歩きとは、本当におもしろいものです。



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[2008.03.02(Sun) 17:49] 旧跡の問題トラックバック(0) | この記事へのコメント(3)
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コメント

今では考えられませんね by るい
綺麗な歌が読めるから死刑を免れるなんて今では考えられませんがそれだけ風流だったのでしょうか、実朝くんだったからかな?頼朝だったらそのまま死刑にしそうなところを政子さんに止められたりしてと検定の勉強をしていると妄想まで発展していきます(爆)

改訂版テキスト by youpon
今日、改訂版のテキストを購入しました。

先日PDFで掲載された、第1回3級の問題が掲載されています。
また、索引が6ページから15ページと9ページも増えています。
これは、とても便利だと思います。

しかし問題なのが、「祭と行事」までの本文ページ数が2ページ、年表が4ページ増えていることです。
まだ、詳しくは調べていませんが、ざっとみたところ「世界遺産登録の国指定史跡」が1/4ページ記載がありました。
昨年のテキストで勉強して、増えたところから問題がでたら...。

昨年も、正誤表がありながら(「かまくら春秋社」に電話してFAXにて入手しました。)、まったく公表しなかったし、公式テキストというものを何だと思っているのでしょう!!

改訂版テキスト その後 by youpon
本文のページではなく、「祭と行事」のページが2ページ増えていました。
(世界遺産の国史跡一覧は、鎌倉駅の写真を小さくして追加で掲載です。)
隙間を広げて見やすくした結果みたいです。
かえって、行事の件数は減っているみたいです。
ただし、
・「筆供養」が、「初天神(筆供養)」
・「時宗祭」が、「開基毎祭忌」
・「七夕祈願祭」が「七夕祭」
・7月第1〜第2日曜 「小動神社例祭」が、7月中旬の日曜 天王祭
 (「小動神社例祭」は、もともと誤植だったのですが)
と、全部チェックしていませんが、かなり変更があります。

また、年表は隙間を広げて見やすくしただけでなく、
・1193年 範頼の追放・殺害
など、増えています。

前のテキストの誤植や、改訂版との差異を公表してもらう様、鎌倉商工会議所へ働きかけたほうが良いと思います。

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リストマーク 問題75 倒幕計画 

2007年12月03日 ()
【問題75】
北条高時のころ、後醍醐天皇による2度目の倒幕計画が発覚し、鎌倉葛原岡で処刑された天皇の側近であった人物は?

【問題75のこたえ】
:日野俊基(ひのとしもと)

日野俊基は、後醍醐天皇の命を受け鎌倉幕府打倒を企てた公家。
北条高時が家督を継ぎ、実権を握った家臣の長崎高資(ながさきたかすけ)は、
いわゆる賄賂政治を行い、幕府の信用を失墜させた。
当然倒幕の動きは強くなっていったのだ。

葛原岡4

▲葛原岡神社内にひっそりと、「日野俊基終焉の地」の碑がある。

葛原岡1

▲俊基の墓といわれる宝篋印塔。国指定史跡。

葛原岡2


葛原岡5


葛原岡3

▲源氏山公園に至る山道を抜けたところに葛原岡神社がある。

この神社は、実は明治時代に創建されたもの。
天皇への忠誠心を国民の間に育てようとする国家のねらいがあったそうだ。

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[2007.12.03(Mon) 15:34] 旧跡の問題トラックバック(0) | この記事へのコメント(2)
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コメント

近所です(^^; by るい
源氏山すぐのところに日野俊基の墓があるって不思議に感じます。呉越同舟?
かなり前ですが墓のある土手に落書きがあり落とすのにかなり苦労があったそうです。

るい 様 by クネ
そうですか、ご近所でしたか〜。
考えてみればたしかに妙なものですね。
落書き・・・。
この間、和賀江島にも真新しい落書き(落削り?)があり、驚きました。記念好きというかなんというか、あちこちで随分被害はあるようですね。
困ったものです。(-"-;)


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リストマーク 問題68 鎌倉十井その4 

2007年08月23日 ()
【問題68】
明月院境内にあり、その内部が水瓶のようにふくらんでいることからその名がついたとされる、珍しく現在も現役の鎌倉十井の一つは?

【問題68のこたえ】
:瓶(つるべ)の井

鎌倉十井4-2

▲説明板によると、岩盤を垂直に掘りつくられたとある。
現在も庭水などに使用されているという。

鎌倉十井4-3

▲別名「甕(かめ)の井」ともいわれる。

鎌倉十井4-1


※「鎌倉十井」とは、江戸時代に紹介されたもので、水の恵まれなかった鎌倉において、水質も良く美味で、伝説やいわれが残る代表的な十の井戸のこと。

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[2007.08.23(Thu) 13:01] 旧跡の問題トラックバック(0) | この記事へのコメント(4)
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コメント

なんと! by まっちゃん4649
うっかり見逃していましたが・・・
もう来年への挑戦が始まっているのですネッ♪

頭が下がります・・・。

十井 by るい
これの問題が3級で出ると思っていたのですが(苦笑)2級では出して欲しかったりします(笑)鉄の井は私が小学校の時はごみ置き場状態だったのが観光整備によって綺麗になったのはすごく嬉しかったのを思い出しながら十井を覚えました。

まっちゃん4649 さん by クネ
いえいえ・・・。
さすがに暑くて、100問制覇!といいながら、遅々として進みません。(-o- )/ ⌒-~
春は、ちょっと写真を撮りに!なんて張り切ってたんですが。

るい さん by クネ
出ませんでしたねー。橋も井戸も・・・。
そうだったんですか!あのあたりはいつも人も車も多いので、ついつい目をそらして、(人ごみ苦手な私)気にもしていないことが多かったんですが、復活したのですね。それにしても観音様が出た井戸がゴミ置き場だったとは・・・。ありがちですけど。。

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リストマーク 問題44 鎌倉の寺と北条政子 ☆☆☆ 

2007年05月29日 ()
【問題44】
北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔があり、鎌倉五山第三位の寺は?

【問題43のこたえ】
:壽福寺(じゅふくじ)

壽福寺1

1200年、北条政子が栄西を招いて開山。建長寺派。鎌倉で初めて建てられた臨済宗の寺だ。境内は国指定史跡。
栄西は、臨済宗を宋から伝え、お茶を日本に伝えた人としても有名なひとだ。
この地一体は、頼朝の父、義朝の屋敷跡とされている。
源氏ゆかりの地である。

壽福寺3

▲苔が鮮やかで、美しい石畳の参道

壽福寺6

▲本堂 創建当初の建物は火災で全て焼失したため、1664年の建立。鎌倉でトップ3の大きさの仏像仁王像が安置されている。

壽福寺5

▲山へと続く道を行くと、墓地になっており多くのやぐらがある。高浜虚子や大佛次郎の墓もあるということだ。

北条政子墓

北条政子の墓 
壽福寺4

▲源実朝の墓(天井に唐草模様の彩色が施されたやぐら)

ただ、この2つが本当に墓だという記録はないようだ。実際には供養塔かもしれない。
北条政子は、根強い人気があるのだろう。
ユリの花などが供えてあった。

強く、自分の意思をはっきり主張したという政子は、現代の女性から見てもカッコいいひとかもしれない。
よき後継者としての息子に恵まれなかったことは、気の毒に思いますが。

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[2007.05.29(Tue) 18:29] 旧跡の問題トラックバック(0) | この記事へのコメント(0)
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リストマーク 問題43 鎌倉十橋その4 

2007年05月29日 ()
【問題43】
往時の三大街道が交差する要所にあり、橋が道路に対して斜めに架けられていたことからその名がついたといわれる橋は?

【問題43のこたえ】
:筋違橋(すじかえばし)

筋違1

三大街道とは、小町大路、横大路、六浦路の3つ。
この橋を起点にして、東は六浦へとつながる金沢街道、南は大倉幕府の南門に近い。
金沢方面から鎌倉にくる商人たちも、また、小町から幕府に出仕した武士たちも必ずこの橋を通過しなくてはならない重要な場所だった。

筋違2

この橋の北側には強大な勢力を誇っていた三浦泰村の邸があった。
日ごろから、その力を妬んでいた安達景盛が、泰村謀反の噂を利用して、一族を率いてこの橋の北から矢を放ち、宝治合戦の火蓋を切ったといわれる。

関連問題:【問題問題32 三浦泰村一族】


たしかに、現在も「く」の字に曲がっている。交通量も大変多い場所だ。
所在地地図

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[2007.05.29(Tue) 16:43] 旧跡の問題トラックバック(0) | この記事へのコメント(0)
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