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リストマーク 問題70 民俗文化財 

2007年09月26日 ()
【問題70】9月14~16日に行われる鶴岡八幡宮の例大祭の神幸祭に登場する神奈川県指定民俗文化財指定のものとは?

【問題70のこたえ】
神輿(みこし)

鶴岡八幡宮のサイトによると、本宮神輿3基、若宮神輿4基の計7基あり、この日、そのうちの3基が烏帽子、白丁姿の氏子たちによって、本殿から担ぎ下ろし、宮司以下神職、錦旗、神馬、ちょうちん、太鼓、盾、弓矢などからなる数百メートルの行列が若宮大路を二の鳥居まで進む。」
とある。寛永初期(1620年代だろうか)の造営だそうだ。

下のビデオはその始めの部分のダイジェスト。(真ん中の▼をクリックすると動画が始まります。)



鶴岡八幡宮例大祭1

鶴岡八幡宮例大祭2

鶴岡八幡宮例大祭3

▲前日の早朝には宮司以下神職が身を浄めるために、由比ヶ浜辺において禊をする浜降り式が行われ、浄めのしるしとして藻塩草(海草)を持ち帰り、社頭に掲げるということで、
境内の至る所に、その海草を見ることができた。

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[2007.09.26(Wed) 14:35] 芸術・文化の問題トラックバック(0) | この記事へのコメント(0)
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リストマーク 問題54 文学 

2007年06月02日 ()
【問題54】
円覚寺塔頭松嶺院で、『或る女のグリンプス』(のちの『或る女』)後編を書き始めた大正時代の作家は?

【問題54のこたえ】
:有島武郎(ありしまたけお)

小説家、評論家。1878ー1923年
里見の兄。画家の有島生馬は弟。



『或る女』後編を大正8年3月末に松嶺院二階の二間を借り、20日ほど篭って執筆した。
松嶺院の建物は関東大震災で倒壊し、現在のものはその後再建されたものである。

松嶺院

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[2007.06.02(Sat) 13:54] 芸術・文化の問題トラックバック(0) | この記事へのコメント(0)
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リストマーク 問題51 郷土芸能 

2007年05月31日 ()
【問題51】
材木座海岸には、海上輸送された多くの木材が陸揚げされたといわれる。鶴岡八幡宮を造営する際、材木を運ぶ際に唄われていたと伝えられる唄は?

【問題51のこたえ】
:鎌倉天王唄

材木座の「座」とは、中世のころ、商工業者たちが幕府や朝廷、寺社の保護を受け、同じ職業の人たちで結成された職業組合のこと。
つまり、材木座には、材木を扱う商人たちが多く集まっていた。

頼朝が幕府を開くまで、鎌倉はただの寒村でなんの変哲もない村だった。それが幕府が鎌倉に開かれると同時に、鶴岡八幡宮をはじめ、巨大な寺社など、鎌倉は建設ラッシュの時代へ突入した。
多くの木材が必要となり、その運搬も重要になる。

海に近い材木座が、重要な役割を果たしていたのだろう。
由比若宮を現在の鶴岡八幡宮へと移したときには、多くの人たちによって材木が運ばれたという。
唄をきくと、その当時の様子が想像できるような気がする。



  ♪伊勢の鳥羽から 朝山まいて アーラヨイ
晩にゃ下田か ヤーレコラ
汐がかり

光明寺、秋葉権現祭において、天王唄保存会の皆さんが唄を奉納したときのビデオ映像です。(画像真ん中の▲ボタンをクリックすると動画が始まります。)

※動画の閲覧には、「Flash Player」がインストールされていることが必要です。下記バナーよりダウンロードサイトへジャンプします。
flash

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[2007.05.31(Thu) 20:26] 芸術・文化の問題トラックバック(0) | この記事へのコメント(0)
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リストマーク 問題24 明治の文学 ☆☆☆ 

2007年05月20日 ()
【問題24】
明治22年に横須賀線が鎌倉まで開通したことにより、多くの文人が鎌倉を訪れるようになった。夏目漱石もまた鎌倉に滞在した。作品『門』に登場し、境内に漱石の句がある寺は?

【問題24のこたえ】
円覚寺(えんがくじ)

帰源院2

円覚寺塔頭の1つ帰源院。
明治27年当時英語教師をしていた夏目漱石は、ここに止宿し参禅した。『門』に登場する「一窓庵」はここがモデルになっている。
夏目漱石のファンなどが集う「鎌倉漱石の会」などが現在もここで開催されているようだ。

帰源院1
「佛性は白き桔梗にこそあらめ」という漱石の句が刻まれた

帰源院3
※通常非公開。

円覚寺 鎌倉市山ノ内409
※帰源院の一般公開はされていない。

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[2007.05.20(Sun) 10:34] 芸術・文化の問題トラックバック(0) | この記事へのコメント(0)
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リストマーク 問題19 鎌倉ゆかりの映画人 ☆☆☆ 

2007年05月15日 ()
【問題19】
『晩春』『東京物語』『秋刀魚の味』など、多くの名作を発表した映画監督で、晩年北鎌倉で暮らしたひとは?

【問題19のこたえ】

:小津安二郎(おづやすじろう)



『東京物語』(昭和28年)は特に有名である。

鎌倉には、昭和27年から亡くなるまで約10年間母親と暮らした。
北鎌倉円覚寺に墓があり、墓石には「無」と刻まれている。

独特のロー・アングルと独自なスタイルは、死後さらに、フランスを中心に国際的評価が高くなり、著名な映画人たちが小津映画に影響を受けるようになったといわれている。黒澤映画などとともに、海外で最も有名な映画監督のひとりである。

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[2007.05.15(Tue) 14:25] 芸術・文化の問題トラックバック(0) | この記事へのコメント(0)
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